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鬼嫁暴露雑記 |
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2006.08.26 |
初めまして。たまに「嫁さん・映子」で登場させていただいております、石井弘樹の家内・石井映子でございます。なぜ私が「鬼嫁」なのかはさっぱり分かりませんが、友人の強い要望でしたのでしょうがなくこのタイトルです。
私、このコラムをなんの許可もなしに更新しましたので、びっくりしてひっくり返っている弘樹の姿が想像できますが、ま、その時はその時としましょう。 さて。これが私の知る「石井弘樹」でございます。
・ 運転中、どうしても割り込めずにずっと待ってしまい、後ろからブーブー言われる私の運転にイライラした彼は「待っていたって入れてくれないよ!もう、代わって!」と見本を見せてくれることに。車がぎっしりのところを割り込むためにどんどん車の頭を入れていく・・すると本当に入れてくれないトラックがいまして、それでも言った以上ここは割り込まないとかっこがつかないと思ったのか、強引に入り込み、私達の車を避けようとしたトラックは隣の壁にぶつかり、元々混み合うところに更に事故渋滞を作る原因となった彼。互いに一言も交わすことなく、車内につめた〜い空気が流れ、それ以来この人の運転アドバイスはきかないことにしています。
・ オーストラリアに行った時の話ですが、空港のDFSで買い物をしていた私に対してとても態度のよろしくない店員がいまして、それを見かねた彼は私のためにその店員に注意をしてくれました。ところが色々言い訳をしてうだうだ言ってきたものですから、彼もヒートアップしてしまい・・、とここまでは「私のためにす・て・き・」と嬉しく思っていたのです。「言い訳は聞きたくない!」と言いたかったのでしょう。I
don't want to hear any excuses(=言い訳)!と。それがI don't want to hear any “EXCUSE
ME”!!(Excuse me=すみません、失礼・・)と余計な単語をつけてしまい、店員は「この人怒っているのはわかるけど、何いってんのかしら?」と言わんばかりの顔でキョトンと・・私、恥ずかしくてその場を速やかに去り、他人の振りをさせていただきました。
・ 以外とうっかりミスが多い彼。これもオーストラリアでの話しですが、PCITAのオーナーでもあるAndyと食事をすることになり、「それじゃ、ついて来て。」と言われ後ろからAndyの「青い」車をFollowすることに。「今日は充実したねー」など話しながら余裕で運転している彼。ちょっとして右に曲がっていくAndyの車を通り過ぎ、なぜか「黄色」車を延々とFollowしている彼。ちゃんと理由があってやっていることだろうと「???」と思いながらも黙っていたのですが、明らかにおかしい・・「ねぇ、Andyの車「青」だけど・・」と言うと、彼はこの世の終わりかのような顔をしている。携帯もない。どこにいるかもさっぱりわからない。どこで間違ったのかさらさら理解できない私もAndyもこの日以来、はぐれることを常に想定して互いの連絡先はお守りのように持っています。
・ ガラス張りの教会が美しい、とだけでオーストラリアでのウエディングを決めた彼。誓いは英語で行なわれるため、前夜、「牧師さんのこの誓いの言葉が終ったら“I
will”って言うのよ。」と何度もリハーサルをしたわけです。当日、一生に一度の結婚式ですし、親との思い出や感謝の気持ちなどチラホラし、父と歩くヴァージンロードを目前に今にも泣きそうになっていた私。誓いの言葉の途中、一息入れた牧師さん。この一瞬、彼は何を血迷ったのか、終ってもいないのに牧師さんを真っ直ぐ見ながらはっきり「I
will。」と・・・牧師さんとても困りながらとりあえず続けなきゃという感じであたふたしながら続ける様子。「信じられない・・」という思いで彼を見ると自信満々の笑みで、まったく気付いていない様子。それに私は崩れ落ちるように笑い転げ、牧師さんも笑って言葉にならず、家族も顔引きつりながら笑いをこらえているのに、彼は一人で「こんな大切な時に!」とムッとしていまして、この日以来、この人に関しては”リハーサル“はなんの意味もないということを学びました。
・ 結婚前、恋愛当時、海外遠征ばかりの彼と日本で過ごせる時間が限られていたころ、「熊本県で試合があるから来ないか」とお誘いが。現地に着いている彼から「馬小屋だから、楽な格好で。」と。馬小屋と言いながら私が想像したのは森の中のコテージ。朝は小鳥の鳴き声で目覚め、ベッドはふっかふか、シーツはパリっとノリがきいていて・・いわゆる「二期倶楽部」みたいな。空港についてバスに乗るように言われ、降りたところは歩く道らしきものがなく泥道で私のヒールは台無しになったのですが、それ以外は想像していたとおりの素敵な森の中。やっと見えてきた建物の前で手を大きく振っている彼が「よく来たね!」と歓迎。中に入ると他の選手が20人はいるわけ。で?私の部屋は?と待っていると「ここだよ。」と本当にそこは馬小屋。馬がいないだけ。ドアも壁も何もなく、20人みんなで添い寝にちかい宿泊状況。開いた口は長いことふさがらず、引き返すわけにもいかず。それでも2泊ほどし、帰りは「飛行場まで送るよ!」と言う彼にほっとし、リムジンとは言いませんが、少なくともタクシーか何かを用意してくれたのかと思い待っていると、ボロボロでさびていてタイヤがもはや円形ではなくなっているごみ置き場にあった自転車で現れた彼は「乗りなよ。」と。私まったく意味が分からず立ち止まっていると「早く!」ですって。彼はなんかの日本の青春映画の一コマを描いて野原の小道をせっせとこいでいたのでしょうけど、私の大切なコートはさびで台無しですし、おしりはあざになるぐらい痛かったですし、いつもは彼と離れるのが辛くて必ず泣いてしまう私もこのときは“嬉し涙”だったような気がします。この日以来、私は彼の言葉をそのまま受け止めています。馬小屋と言われれば「本当に馬小屋なんだ」と・・
その他エピソードは溢れるほどあるのですが、とりあえずこの辺で。石井テニスアカデミーの会員さんに「石井コーチは几帳面ですね。神経質なぐらい。しっかりしていますね。」と言われるたびに私は、返す言葉がみつからないまま目が点になっているわけですが、「その辺どうなのよ?」と本人に聞いてみると照れ臭そうに「僕、仕事場ではきっちりしているんだ。」と。決して器用ではない彼が、決して整理整頓が得意ではない彼が、一生懸命ミスをしないようにと何度も何度も読み直したり、夜中遅くまで色々確認しまくっていることはわかっているのですよ。休日二人でシャンパンを飲みながら彼は会員さんたちのこと、ジュニアのことをいつも話してくれます。ジュニアがある試合で優勝をし、泣きながらコーチの弘樹のもとに来たときのことも、「あいつ泣くんだよ。“全然だめでした!”って言いながらタオルで顔を隠してさ、頑張った嬉しい気持を抑えられなくて泣くんだよ。その時僕、もうやばくて、涙でそうで、もう本当にやばくて・・」って話しながらポロポロ泣くの。他のジュニアのことも試合で一生懸命戦っているジュニアが嬉しくて泣くの。「あいつ最後まで諦めないで、あいつ今までに見たことのないファイトで・・」と。そんな彼を見ているとどれだけ想いを入れてきたか、どれだけ悩んできたか、どれだけ頑張ってきたか、そしてその思いは、ただ見守って信じるしかないコートという孤独な戦いの場に選手を投げ込んだとき、選手と彼の「信頼関係」が全てを物語るのだろうと。会員の皆様、アカデミー生のみんな、溝畑コーチ、金丸コーチ、比護コーチ、古屋コーチ、本当にいつもいつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。皆様のおかげで、弘樹はどんな大変なときでも、ものすごくいい顔して家に帰ってくるんですよ。ちょっと髪の毛薄くなりましたけど。(笑)
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