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はじまり |
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2006.05.31 |
プロをやめた日。
2002年の全日本を最後に、“勝つ”テニスから“負けない”テニスをするようになっていた自分に限界を感じ、思い切ってピリオドを打った。何の引退セレモニーもなく、静かに辞めたのは、どこかで「プロ」という肩書を捨て切れなかったからなのかもしれない。しかし、そんな空虚感とは裏腹に、辛いトレーニングや、負けられない相手に出くわす危機感とプレッシャー、過剰に神経を使う健康管理から解放されることには、むしろ“自由”を感じていた。正直、現役時代「プロ」という看板をしょっているだけで(図々しくも)チヤホヤされた。その音頭に自分ものせられ、知らず知らずと勘違いを引き起こし、スター気取りの僕がいたのに、引退を境に、一日で、僕はアイデンティティーを失った気がしたんだ。
直後はまだいい。飲んだことのないお酒を試してみたり、これまでは考えられなかった夜更かしをしてみたり、めったに食べたことのないお菓子やソーダを頬張ってみたり、と極楽だった。しかし、月日が経つにつれ、だらけていく自分の姿と、予定がないことへの不安に僕は苛立ちを覚えた。どうでもいい、カッコだけの事で焦る気持ちを埋めようとしたが、それもどんどんごまかしがきかなくなっていったんだ。これまであまり頭を下げる機会が多くなかった僕は「非常識」と扉を閉められ、それでもツッパる僕を社会は見事見放した。どう振舞えばいいのか、方向性と共に自信も失い、こんなはずじゃなかった・・と頭を抱える日々が続いた。
そんなある日、僕の心から雨雲が引き、光が差した。引退から1年。プロテニスプレーヤーではない自分とその現実を受け止める事ができたんだ。ゼロからのスタート。僕は少し憧れでもあった東京を去り、地元山梨でスクールを立ち上げた。レッスンはもちろんのこと、チラシ配りからコート・トイレ掃除まで全て一人でやった。比べるものではないが、現役の頃の方が楽だったのでは・・と嘆きたくなってしまうほど、エネルギーを搾り出しながら一日をのりきる様な毎日だったんだ。
引退から3年。気持ちよい秋晴れの日、ボールの音がリズミカルに響く中、もはやかわいくなってしまったジュニアや、レッスン生の汗と笑顔、僕をサポートしてくれるヘッド・コーチがにぎわうこのアカデミーで、僕は「テニスコーチ」としての自分を誇れるようになっていたことへの喜びと、心地よい緊張感で心が満たされていた。この3年間で、僕は現実の厳しさを知った。きっとどの頃よりも涙もろい自分がいるかもしれない。でも明らかにあの頃よりも地に足をつけ、自分を信じられている。「今」と向き合えている。
テニスパーフェクトマスター (新星出版社)より
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